・初代記事担当になりましてドキドキものです。正直、心臓が破裂しそうです。微力ながら皆様方の三種の神器に少しでもお役に立てばと思いペンを取りました・・
ではなくパソコンを、開きました。
三種の神器と言えばそう「テレビ」「冷蔵庫」・・・ではなくソレ・タコ・デュアルです。そんな事はさておき。最近ちまたで物議をかもしている かもしてない?排ガス規制についていろいろと調査・勉強をしました。2回連載形式で発表したいと思っています。
 まず排ガス規制とはなんぞやと言う事です。簡単な時系列で追って見ましょう。 


 
●昭和51年まで
 
殆ど、排ガス規制がありませんでした。私もくわえタバコでフルチンで走っていました。今ではお馴染みの触媒すら存在しない状態で車検でもアイドリング時のしかもかなり緩い基準をみたすだけで車検OKと言う状況でした。この基準は車両の年式に適応されますので現在もこれ以前の車両はかなり緩い状態です。現在でもソレックスやウエーバー他の俗に言うスポーツカーブレーターを装着しても問題ありません。ハイカムやビックバルブを装着した場合、少々、車検時に苦労しますが・・・

一つ面白いエピソードを、ご紹介します。あれは桜が咲き乱れ春爛漫の季節に車検に持ち込んだ時の事でした。どうしても排ガスが通らず魔が差した私は、
無謀にもマフラーへウエスを詰め込んでしまいました。あれこれやっているうちにガスは無事通りました。自信に満ち溢れた私の態度は堂々とした若武者のようだったと思います。自分でも天才と思いました。ちなみに幼少の頃、母に連れられIQをはかった時は70でした。
無事、排ガスをおえ検査ラインを進むうち検査員が「マフラー少しうるさいのでエンジンを吹かしてください」なにも考えず吹かすと・・・検査員が鬼のような形相でこちらを見ているではありませんか・・そうです。マフラーに詰めたウエス君が飛び出し検査員を、直撃しているではありませんか・・・当時は車検と言えば神の領域でしたのでそれからどうなったかは皆様方のご想像にお任せいたします。
排ガス測定はCO2とHCの濃度を測るものでウエスを詰め込む事により全体の量はかわりますが濃度は同じだと気づくのにそれから20年の歳月を要しました。
誤解を、恐れず言うとのん気で楽天的で良い時代でした。


 
●昭和51年以降
 
オイルショックや光化学スモックが社会的問題になり、これ以降は急激に排がス規制が厳しくなります。数年前に18歳の若者に日本が最後に戦争をしたのは、何年でしょう?と言う質問に対して「昭和50年頃・・・」と言う斬新な回答をもらった事がありましたが真珠湾攻撃は排がス規制やましてオイルショックとも関係ありません。
対策としては新車販売時の10モード試験の導入です。アイドリング時はもとより10種類の(登り坂とか一定走行等)走行状態でも排ガスが規定値以下にならなくては販売できないと言うものです。これを、クリヤーするためメーカーは触媒やEGRバルブ(排ガスをもう一度、エンジンに取り入れ燃焼させる)等でこれをクリヤーしました。
しかし、この頃は当時のカーキチ(カーキチガイの略)もそれ程、気にする様子もありませんでした。それ以前の車両は適用外で暴走族も新車を買う人間はいなかったからです。それよりドアミラーや扁平タイヤ・オーバーフェンダーが取り締まりの対象となった時代で排ガス規制を気にするどころではありませんでした。

 
●昭和53年以降
 
53年からは10モードの排ガス基準値が少し厳しくなります。メーカーはインジェクション仕様車も販売し燃費・排ガス対策に明け暮れます。町の整備工場ではインジェクションのコンピューターをブラックボックスと呼び整備工場の殆どが潰れるのではないかと言われました。この頃の日本いや日本人はたくましくそれを乗り越え今日にいたったわけです。
最近ではハイブリッドの登場や近い将来レシプロエンジンが消滅してモーターに変わるといわれ町の整備工場は意気消沈状態ですが時代はまさに53年当時の状況に似ていると思います。これを、ビジネスチャンスととらえて前向きに考えて行くのが肝要かと思います。

 
●昭和64年頃
 
空前の旧車ブームが到来しました。一説によると「シャコタンブギ」と言う漫画が火付け役とも言われました。その漫画に登場する車両がハコスカやS30Z・ケンメリのワークス仕様でもちろん前述のソレックス・タコアシ・デュアルマフラーと三種の神器が装着されていました。ブームとは恐ろしいもので、今まで、興味がなかった若者も一気に旧車を購入するようになりました。そこで問題になるのは排ガス規制後の車です。車検に通らない。警察に捕まるでは、にわかじこみの若者はしり込みするのは無理も無い所です。
そこに目をつけたのが大阪の業者です。さすがは商いの町です。10モードの排がスを財団法人の試験場でクリヤーすれば車検も通るし警察の摘発にも対応できると言うアイデアを、考えました。当時も最近も日本で測定できる試験場は4カ所あります。そこでなんとか試験をクリヤーすれば同型エンジンの場合は試験成績表のコピーで良いので使いまわしが出来ます。例えば、昭和52年C−31 フェアレディZ(S30型の後期)エンジンL20にソレックスを取り付け、EGRバルブ等の排ガス装置を、取外し10モードの試験を受けます。その時、バルブのクリアランスを出来るだけ広くとったり、点火時期を遅らせたり細工を行い通りやすくします。それで合格すれば同型エンジンが搭載された車両、例えばジャパンとかローレルでも試験成績表のコピーを車検の時に提出すれば車検証の備考欄に「気化器」「原動機」とか記載されました。これで晴れて合法となるわけです。
 
この10モ−ド成績表を誰が名付けたか「ガスレポ」と呼びます。一説では坂本竜馬が付けたとも・・・言われていません。その他の改造カ所がある場合は、一緒に陸運局に提出してお上の許可をもらうのですがこれを「公認」と呼ぶのが由緒ただしい呼び名のようです。この公認が全盛期をむかえます。どこの業界でも同じ道をたどるのですが「何カ所、公認をとっても50万円、当社は18万円、」と競争が激化していきました。


 
●2010年
 
以前から問題になっていた環境問題がますます広がりをみせます。そこで問題になったのがガスレポです。各県やブロックでガスレポの扱いが変わって来ました。よくよく考えてみると10モ−ド試験の時にごまかしははなかったのか?又、同じエンジンでも車両が変われば、車両重量やギヤ比が変われば走行中の排出ガスは試験結果と違って来るのではないかと言う疑問が沸いてきます。それに輪をかけて民主党さんの俗に言う仕分けです。車検検査員も財団法人の一部で意気消沈です。上の方からの指導でガスレポに記載されている車両でないと公認を、認めないという勢力が日本国内を、席巻しました。現在では関東の一部、四国の一部以外はガスレポが使えない状態です。この勢いはまさに圧巻です。武田信玄の風林火山、攻めるは火のごとしに匹敵します。(オ−バ−すぎる)このままでは、全国制覇は目前で昭和51年以後の車のスポーツキャブレター化は事実上、不可能になりそうです。今の所、この問題の対策は一つしかありません。それは次回、講釈で。ヒントは信長 桶狭間の戦いです。古畑任三郎でした。つづく。